光のない世界で「見えた」人の死とは【ダイアログ・イン・ザ・ダーク参加レポート】







どうも、旅人くじらです。

みなさん、光のない世界を旅したことはありますか?

自分は昨日、「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」と呼ばれる暗闇のソーシャルエンターテインメントを体験してきました。

直訳すると、「暗闇の中の対話」

光のない世界を冒険してきたので、共有したいと思います。

ダイアローグ・イン・ザ・ダークとは

東京では2017年8月31日まで開かれているイベント。

それは、

暗闇の中の対話。
鳥のさえずり、遠くのせせらぎ、土の匂い、森の体温。水の質感。
足元の葉と葉のこすれる枯れた音、その葉を踏みつぶす感触。
仲間の声、乾杯のグラスの音。
暗闇のあたたかさ。
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、
暗闇のソーシャルエンターテインメントです。
参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、グループを組んで入り、
暗闇のエキスパートである視覚障がい者のアテンドにより、中を探検し、様々なシーンを体験します。
その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、
コミュニケーションの大切さ、人のあたたかさなどを思い出します。
完全に光のない世界の体験です。

全く光のない世界での体験

はじまり

今回の参加者は自分を含めて8名。

小学生からお爺さんまで、幅広い年齢層の方々と体験をした。

もちろん参加者同士、みなさん初めまして。

 

まずは目を慣らすために薄暗い部屋へと案内される。

そこで出迎えてくれたのが、今回暗闇の世界を案内してくださる視覚障がいをもった方。(以下、Jさん)

私たちは白杖を手に取り、Jさんが今回の冒険で守ってほしい3つルールを教えてくた。

  1. 白杖は前の障害物を探るために使う
  2. 腕を伸ばし手で物を触りに行くときはまず手の甲を出す
  3. 自分の行動を声に出す

2番目のルールは、手を出すときに指先が前に出てしまい相手の身体を傷つけてしまうことのないようにするためだ。

 

さぁ、いざ暗闇へ。

くらやみ

普段は寝る時でさえ、月明かりが入ってきたり、電子機器の光があったりするもの。

そんな中、全く光のない世界で私たちはこれから寝るのではない、冒険がはじまるのだ。

 

8人は恐らく1列になって扉の中へ入っていく。

 

全く見えない。

どうしていいかわからない。

これから大丈夫かな。

 

これがファーストインプレッション。

 

8人は声をかけながら進んでいく。

おと におい てざわり

8人は恐らく1列になって進んでいく。

 

聞こえてきた、鳥の鳴き声が。

何か匂いがしてきた、草のにおいかな。

看板があった、なんて書いてあるのだろう。

 

私たちは森のなかにいるようだ。

 

すわってください

8人は恐らく1列になって森をくぐり抜けた。

 

Jさんが声をかける。

「みなさん、座ってください」

 

戸惑うわたしたち。

椅子はどこ? どこに座ってるの?

声と椅子を叩く音でコミュニケーションを取るわたしたち。

 

てーぶる

8人は恐らく和室に上がる。

靴を脱いで、靴の脱ぐ時に隣の人を覚えて。

部屋の中央に円いテーブルがあった。

 

8人が囲む。

真ん中にどうやら地球儀らしきものがある。

8人のこれまで行ってきた旅の話で盛り上がった。

れすとらん

8人は恐らく、4対4で向かい合わせに座った。

 

店員さんが口頭でメニューを教えてくれる。

 

各々注文。

500円のマンゴージュースを注文。

1000円札を渡し、500円玉を受け取る。

 

マンゴーの良い香りだ。

しゅっぱつ

明かりが見えてきた。

終わりだが、始まりだ。

今回のダイアローグ・イン・ザ・ダークのテーマは「出発」

 

自分にとって「出発」とは?

 

自分は「発見」だった。

光のない世界で見えたもの

この旅の間は一切の光という光はありませんでした。

森で丸太の橋を渡ったり、和室で談笑したり、レストランでドリンクを飲んだり、

どんな時も「見えて」いないのです。

 

しかし、自分が感じたのは、常に見えていたような感覚でした。

 

確かに光はない、

けれども、丸太の丸みを感じ、人の笑い声を感じ、マンゴーの匂いと味を感じた、

まるで今目の前にそれがあるかのように。

 

自分はきっと、視覚以外の感覚から無意識に頭の中で映像を映し出していたのでしょう。

 

こうやって、今回の体験を思い出すときも、なぜかイメージ像を思い浮かべている自分がいます、全て「見えて」いなかったはずなのに、、、。

 

不思議ですね。

光のない世界で感じた恐怖

光のない世界で感じた恐怖とは、

光以外の全てが消えた時の「存在の否定」でした。

物、音、味、匂い、それらがすべて消えた時、世界にはまるで何も存在しないかのようで、、、。

 

例えば前の人が何も声を出さないと、その人の存在が消えるんです。

物理的には目の前にいるはずなのに、、、。

 

声を出す。手で触る。ものすごい体臭を発する。

物理的に存在しても、その人が何かをしない限り、自分にとってその人は「いない」も同然でした。

 

まるでこの人間社会と同じよう、、、?

光のない世界の光

光のない世界の光とは、

目に見えなくても誰かがいるんだという「存在の肯定」でした。

例え全ての感覚がなくなったとしても、「誰かがいる」と思えたことは、何もない宇宙にいても全てがあるような気がするみたいで、、、。

 

例えば真っ暗闇の中で誰も喋らない状況でも、目の前に誰かが存在するんです。

目の前にいると自分が信じているから。

 

声が聞こえなくとも、触ることができなくとも、体臭を感じなくとも、

自分の横には常に誰かがいました。

 

まるで遠く離れた誰かのこと想うかのよう、、、?

最後に

光のない世界で視覚以外の触覚、聴覚、嗅覚、味覚のほか全てを失って感じたのは「存在の否定」、ただそれと同時に、五感が全て失われてた中でも誰かがいま目の前にいると信じてることで生まれてきたのは「存在の肯定」。

きっと人が死ぬ時というのは、「心の感覚」を失った時なのだろう、そんな風に思いました。

中学の合唱で歌った「心の瞳」を思い出します。

 

世界を心の瞳で見れる人でありたいな。

 

それじゃ、またね!

The following two tabs change content below.
白尾 諒 (ShiraoRyo)
1995年静岡県生まれ。アジア・アフリカ14カ国を旅したVlogクリエイター。東京外国語大学アフリカ地域研究専攻3年。些細なことをきっかけに1年半前にYouTubeを始め、それ以来映像づくりにハマる。現在はビデオブログ(Vlog)を投稿中。