大学生がJICAのスタツアを通して思うこと







以前の記事で少し触れた通り、

2017年2月19日~3月5日の日程で

カンボジアへ行ってきた。

というのも、今回、

国際協力機構(JICA)の大学生国際協力フィールドスタディプログラムに参加したのだ。

 

今回はそれを終えて書いた自分のレポートをそのまま共有することにする。

 

(手抜きで申し訳ない)

 

前提となる情報や知識を今回共有しないので、読みにくいレポートではあるが、

 

国際協力に関心のある方はぜひ、メタ・ファシリテーションという言葉だけでも拾って頭の片隅に残してもらえれば幸いだ。

 

最後に写真を数枚のせておく。

因みに私たちが村に行った際のプロジェクトで何をしたのかをまとめた動画があるので、こちらも合わせて載せておく。

動画:農村地域で手洗いプロジェクトを実施しました。

私たちの村に外国人がやって来た

1.このプログラムに参加した背景

国際協力に対する見方が180度ガラリと変わった。そんな体験をしたのは、2016年夏のことであった。いつものことながら、スマートフォンを手に取りFacebookを開くと、ある投稿が自分の目に留まった。広告、Amazon。「あなたへのオススメ」としてある1冊の本がニュースフィードに流れていた。自分の指を止めるには十分なほど、自分にとってとても興味深いタイトルの本であった。それが、『途上国の人々との話し方―国際協力メタファシリテーションの手法』(みずのわ出版, 2010)だ。翌日、手元に届いたその本には大きく分けて2つのことが書かれていた。今まで聞いたことの無かった「メタファシリテーション」という手法についてと、いわゆる「貧困」を生み出すことになった現代のコンテクストについてだ。前者は、人間の現実を構成する3つの要素、事実、考え、感情のうち、事実にだけ焦点をあてて問題の本質に迫るコミュニケーションの方法だ。国際協力の現場で現地の人とのコミュニケーションは避けては通れない過程であるが、この本曰く、相手の考えを聞いてしまうような事実に基づかない対話をしている限り、その援助なり支援はたとえ住民主体型プロジェクトと謳っていても実際のところはそうでなかったり、押し付けの援助となったりしてしまうのだそうだ。これによれば、現在行われている援助の実に9割以上がそれに当てはまると言う。また、後者では、貧困を生み出したのは「企業」であり、それを支えるのは今の資本主義経済のシステムだという。

詳しいことは割愛するが、自分がこの本を読んで大きく変化した点は2つ。1つは、日本の援助や支援のそのほとんどが被援助者のことを第一に考えない押しつけのものに見えてきたこと。もう1つが、今まで全否定し悪の塊であると考えていた「貧困問題」を、正当化しないまでも、少しばかり肯定するようになったこと。

高校生の頃から、おかしな現実だと感じた貧困問題を解決することが夢になり、JICAやNGOに憧れを抱いていたが、その想いがこの時崩れた。しかし、「貧困」という現象を「おかしい」と思う気持ちだけは変わらなかった。ただ、これから国際協力に携わっていくには、自分の中で本当に支援が必要な人は一体どこの誰なのか、そして、その「彼ら」の本当の問題は何なのか、はっきりさせなければ自分自身も押し付けの援助をしてしまうことになると感じた。本当に支援を必要としている対象者を知り、その問題の本質とは何なのかメタファシリテーションを通して明らかにしていくことが自分の課題となったとき、このプログラムを知った。

 

2.事前情報と現場で得た情報のギャップ

トイレが好き。それは海外を数ケ国周る中で、日本では到底考えもつかないような様式のトイレが訪れた地域に存在していたことに、単純に興味を惹かれて抱いた感情だ。今回訪れることになったカンボジアのオークルカエ村についての事前に配布された資料には、トイレが一般家庭に普及していないという村長の問題意識があると書かれていた。私たちドップムオイソーンチームは、今回のプログラムの時間や金銭的な制約を考慮した上で、トイレが無いことで起こり得る感染症を防ぐための手洗い指導を村で実施することになった。既にいくつかのNGOや学生団体がオークルカエ村を訪れ、衛生指導を行っていることを知っていたので、私たちは「目に見える形で」衛生活動に興味をもってもらうことを目標とした。そのため、日本からはブラックライトを照らせば洗い残し部分が見える特殊な液とブラックライトを日本から持って行くことにした。プログラムの関係上、事前に対象者を決めなければいけなかったが、対象者など実際に行ってみて調査してみないとわからないというのが本当のところだった。実際、事前に対象者を小学生と小学生の子をもつ親と決めていたのだが、インタビュー調査のために訪れた8家庭には全てにトイレが設置してあった。また、村の小学校を訪れてみるとトイレを使用した後、小学生たちは指の間から手の甲までとても丁寧に必ず手を洗っていた。この時、正直私たちのこれから実施するイベントは不要だと思った。

 

3.インタビュー調査を通じて感じていたこと

手洗い指導のイベント実施に当たり村で行ったインタビュー調査は、メタファシリテーションという手法は時間の制約上取らなかったが、自分の中では意識した。また、事前に「インタビューは相手の立場になって考えてみる」ことが大切だと伝えられていたが、私たちの行ったインタビューは、事前に村長にアポイントをとってもらった家庭を通訳の方を含め5人で訪れ、いきなり「お宅のトイレや手洗いのことについて聞きたいのですが」と申し出るものであった。容易に想像がつくが、トイレというプライベートな事柄であるのも相まって、それは失礼極まりないものだと思った。相手の立場になる、つまり自分が同じようにインタビューを受ける側だとしたらと想像する。外国人4人と日本人1人が急に自分の家のドアベルを鳴らしてやって来た。家にどんどん押し入れられ、しまいにはトイレを見せてと言われ、トイレに貼ってあった趣味のアニメキャラクターのポスターを見られる。(断っておくが、私にそのような趣味がある訳ではない。)恥ずかしさのあまり、私はもう何もこの人たちの質問に答えたくない、だが市長に電話で直接お願いをされたのだから、答えるしかない。そんな状況で出てくる答えは、とても本当のことを答えているようには聞こえなかった。その日4家庭を訪れたうち、ある1家庭の方はインタビューの受け答えの際、とても不機嫌そうな表情をしていた。それを見ると、私たちも非常にインタビューしづらかった。その日の反省を踏まえ、私たちはインタビューの方法を改めることにした。インタビューに訪れる人数を5人から3人にしたり、いきなりトイレや手洗いの事を聞くのではなくきちんと自己紹介をしたり、たわいもない会話を挟んでみたり。なるべく相手が答えやすいような場をつくることを心掛けた。半日の調査時間の中で、それらのことがどれだけ役に立ったかは知る由もないが、前日に比べたらましということだけは言えるかもしれない。

今回村人との対話なり会話は、専ら通訳の方に頼ることになった。そのことで気づいたことがある。まず、村人が質問に回答している時間と、通訳の方が日本語で答える時間とを比べると、圧倒的に前者の方が長い、ということ。これはつまり、村人の答えた言葉の大部分が省略されてから日本語で伝えられるのだ。今回のインタビュー調査はイエス・ノークエスチョンだけではない。そうなると、住民の答える些細な言い回しや、一見関係のないような事柄も調査の重要な手掛かりとなってくる。通訳を通してしまうと、それを見つけるのは難しくなる。この意味で、今回ひしひしと言葉の壁を実感した。

 

4.実際にイベントを実施してみて

 村を訪れる前、この村に青年海外協力隊員として訪れている方の話を聞いた。「1カ月以上前から広報活動を始め、イベント当日に向け準備をしっかり進めてきたのに、当日会場に到着すると参加者は誰一人いなかった」と経験を語った彼女の話には、国際協力の現場のリアルが詰まっていた。自分も学生団体で広報を担当した経験があるので、人を集める苦労は人並みには知っていた。今回村での準備期間が2日間という限りなく短い時間の中で人を集めなければいけないという状況と彼女の話を聞いて、自分も半ばあきらめていた。というより、集まらなくても仕方がないと割り切るつもりだった。しかし、その予想は良い意味で期待を裏切った。当日、イベント会場は小学校。開始時間はなんと朝の7時。これは村人の日中の活動を考慮しての村長の提案によるものであった。集まるか不安だった私たちの目には10名を超える参加者の姿があった。素直に、嬉しかった。私たちのしたことと言えば、手書きのビラを、インタビューを受けてくれた方に渡したことと、村長にイベントのために人を集めるようお願いをしたことだ。これもどちらが功を奏したのか知る由もないが、インタビューの際に不機嫌そうな顔をしていたお母さんが来てくれて、更にはイベントの際に笑みを浮かべてくれたことに、自分はちょっとした喜びを感じた。また、これは後から聞いた話だが、参加者の中には家から10回以上道端で休憩しながらこのイベントのために足を運んでくれていたおばあちゃんがいたという。鳥肌が立った。

 イベントは、ブラックライトと特殊な液を使用し、村人たちに普段の手洗いで洗い残しが手のどの部分に多いのかを目で見て確認してもらった。そして、それを踏まえた上で洗い残しをなくす手洗いの方法を一緒に考えるワークショップを実施した。小学3年生に実施したイベントはそれらに加え、楽しみながら新たに学んだ手洗い方法を実践することを狙いとして、手洗いをチーム戦のリレー形式で行うレクリエーションも実施した。

大人も子どもも、既にNGOなど様々な援助団体がこの村に入っているおかげか、手洗い方法は私たちこそ見習わなければいけないほど丁寧なものであったが、ブラックライトで手の洗い残し部分を実際に見てもらったことでチームの当初の目的であった「感染症を防ぐため、衛生活動の効果を目に見える形にして興味をもってもらう」ことは達成できたのではないかと思う。

 

5.今後のアクション

メタファシリテーションを実施し問題の本質に迫るにはあまりに時間が短かったと言わざるを得ないが、試みようとした結果、自分のそのスキルの浅はかさであったり、いかに現地の人と対等な関係を築き上げていくのが難しいかであったり、また言葉の壁をどのようにこれから克服していくべきかなど、多くの学びはあった。

プログラム中、とある国際協力NGOのメールマガジンが届き、その中の言葉が胸に刺さった。「事実質問ができず相手の考えを聞いてしまい、何かを与えることを考えているのならば、村に行く必要がない。」この意味は、メタファシリテーションとそれを取り巻く現代のコンテクストを理解していないと腑に落ちないかもしれない。この言葉は自分がもっとそのスキルを磨くよう頑張れという応援メッセージとなり、それができなければ自分はまだ国際協力のために海外へいってはいけないような気がした。今回のプログラムで自分たちが行ったことも、自分たちの学びには大きく繋がったけれど、国際協力の目指す現地の人の自立に繋がるには程遠いものとなった。結局は一方的な援助だったのだろうか。国際交流にはなっただろう。プログラム中最後に訪れたJICAカンボジア事務所の方の話が印象に残っている。「その国際協力、誰のことを想ってやっていますか?」自分はこの答えを見つけ、その彼らの問題の本質を探り解決していくべく、海外の村々を周っていく。あくまで対等な関係づくりを大切にしながら。 ※一部改変

 

 

村の家庭に周ってインタビュー調査

 

小学3年生を対象とした手洗いに関するワークショップ

 

大人向けワークショップの様子

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白尾 諒 (ShiraoRyo)
1995年静岡県生まれ。アジア・アフリカ14カ国を旅したVlogクリエイター。東京外国語大学アフリカ地域研究専攻3年。些細なことをきっかけに1年半前にYouTubeを始め、それ以来映像づくりにハマる。現在はビデオブログ(Vlog)を投稿中。